祈祷

『もしね、かみさまと言われる存在がいて、その存在に、運命を配当する役と、割り当てられた運命を審査する人と、生まれたあとの僕らのことを監視する人がいるとするよ。

割り当てる人は、生命が誕生するときに、「この子にはあらかじめこういう長所を与えておこう」とか、「この子はこの夫婦のところに授けよう」なんていうように、あらかじめ決まった運命みたいなもの、勿論それはその子の頑張りや、行動や、受けた影響なんかで変わることもあって…、それをひとつひとつの新しい生命に割り当てているんだ。

でも、その一方で「この子はこのままでは、背負うものが多すぎるんじゃないかな」とか、「もしも何かの拍子に転機が来て、この運命から外れることができればいいけれど、それがないとしたらこの子は逃げ出さずに歩いていけるんだろうか」なんて審査する人に与えられている使命は、大きいよなって思う。
だって、あまりにも誕生する生命が多すぎて、そこまで見ることができないなんてことがあったとしたら、それは悲しいことじゃない?
勿論、見落としているんじゃなくて、「この状況を背負ったとしても、この子は頑張っていけるはずだ」って思っていたなら、それは仕方の無いことなのだけど、それでもどうしても期待に応えられない子や、耐えられない子もいるかもしれない。

救いなのはさ、そんな子にはもうひとりの、この世界に生まれ落ちてからの僕らを見ていてくれる、最後の頼りの人が…、きっと何かしらのお導きを出したりするのかなって思うと、少し楽になるのだけど。

でも、それでも見ていてくれる人が、見ていられない状態だったら。
それはもう、自分で決めたり、やめたり、逃げたり、そうやって判断するしかないんだろう。
どうなっても。先がわからない状態になったとしても。
全部自分でやらなきゃならない。




…願わくば、最期はプラマイゼロになるように、振り分けられていればいいなぁって思う。

ひとりでどんなに頑張っても、どうしたってマイナスの値から抜け出せないならば、
出来るだけ早く、僕と同じようなマイナスの値を持つひとが、現れてくれたらいい。
ふたりで頑張って、せめて少しでもプラスの幸せを味わいたいんだ。
そうやって知ったプラスの喜びは、ふつうに得たプラスの喜びよりも、きっとずっと大きいから、それだけで天秤はつりあうかもしれないよね。

ぼくはそれを早く知りたい…。
もしも例えこのまま10年後も20年後も同じところで蹲っていたとしても。
これだけはきっと懲りずに願ってしまうんだろうなぁ。
春はきっと来てくれるって…、さ。』

そう言って彼は瞳を閉じ、静かに膝を抱えて横になった。緩やかに流れる河に浮かぶ小さな船の中で、儚げな表情を湛えながら。
今にも消えてしまいそうな、か弱くも優しい蝋燭の灯のようだと思った。
私は、報われなかったこれまでの彼のことを思い、鼻を啜る私の醜い泣き声が、水音に掻き消されて彼に聞こえなければいいと願いながら小さく啜り泣いた。