梅の花弁が強風に煽られて飛び散り、タクシーのフロントガラスに張り付いた。桜ほどの艶美な華やかさはないけれど、深夜でも白梅はよく目立つ。
この国道の歩道には、紅白の梅の木が交互に植えられている。今の時期はたいていのドライバーがその可憐な景観に目を奪われる。まるでローレライだな、と智は思った。
いつの間にか小雨が降り始めた。対向車線のダンプカーのヘッドライトが眩しい。100mほど先の信号は青に変わった。











「もしもし、聴こえますか?」
サイレンの音が耳元で鳴り喚く。怪獣の咆哮のよう。
うるさい。頭が割れそうだ。そうだ。そういえば夕べは二時間しか寝ていなかった。
「もしもーし。聴こえますかー?」
「しっかりしてくださいねー。」
「もうすぐですからねー。」
煩い。もう少し静かにしててよ。いったい何人の人間がここにいるんだ。
耳を劈くサイレンに重なるように、遠くからもう一台、けたたましい音を鳴らしてくる。
ああ。なんだっけ。そうだ、ドップラー効果。夜の、音の屈折。うるさいな。
智は眩しさで目を開けられないまま、ガンガンと叩き割られるように痛むこめかみを右手で押さえて上半身を起こし、再生の途中でプラグを抜かれたCDプレーヤーのような、途切れた記憶を取り戻そうと試みた。
僕はお手伝いのしずえさんが帰った後に、クラシックのレコードが入った棚を整理しながら聴いて、コーヒーを淹れてから推理小説の続きを読んで、健二の分の夕飯を冷蔵庫にしまって…。
ああ、漸く思い出した。僕は隣の市の繁華街で補導された弟を迎えに行く途中だった。早く行かなくては。
気付けばついさっきまで不快で仕方がなかったサイレンの音が消えていて、智はよろめきながらも立ち上がった。酷い頭痛の割には不思議と身体は軽かった。
タクシーを呼ぼう。
そう思った瞬間に智の携帯が鳴った。家を出るときに突っ込んだ筈の右のポケットをまさぐったけれど、携帯はみつからなかった。訝しみながら足元に目を落とすと、小刻みに震えながら無機質に鳴るシルバーメタリックの機械が雨に濡れていた。
智は急いで手を伸ばした。折り畳み式の背面ディスプレイには隣市の警察署の電話番号が表示されている。きっと迎えの遅い保護者に痺れを切らしているのだろう。
そこで智の指が止まった。
確かに足元で智の携帯が鳴っている。
そして智の手は携帯に触れようとする。
けれど。
智には無情にもそれを掴むことが出来なかった。

ブツブツとノイズが脳に走った。事態が理解できない。
少し先の交差点の隅に、左側がぺしゃんこになった黄色いタクシーと、バンパーのへこんだトラックが置いてあり、四車線の国道が警官の交通整備により二車線になっていた。

雨がまた少し強くなって、持ち主を呼んでやまない携帯が車の撥ねた水をかぶっていく。